定型否定は、よくある病気ではあるが。
これはこれで、「自由意思を否定してる」そこまでは踏み込む。
ともかく、今までだ。
自分が面白いと思うモノを創る。
人々がそれに対して同意し、創った労苦に対して?お金を払う。
そのうち、人々が飽きてくる。
「次は?」
作者が、その期待に応える物を持ってない時、そこでネタは尽きる。
枯れる瞬間。
この、昭和の?それは、現状は少し変化はしている。
自分が面白いと思うモノを創る。
人々がそれに同意してくれない。
終了。
理由は、体験的なネタは尽きてしまった、多分?”そう言う事”ではある。
感覚での「面白い」はほぼ出尽くしてしまい、殆どが焼き直しでしかない訳だ。
「これ前に見た」
そこにインカムする理由も必然性も、ほぼ無い。
それは、理想だ。
お客が、ゲームセンターに行く。
お客はそこで、適当なゲームにお金を払い、遊んで帰る。
制作側、現場は、その投入されたお金の何%かを貰う事で、生活費にする。
この時、”ここ”に従事してる人々は、他の仕事に従事する必要は、無い。
極論すると、他で合理化の末に排除された人々は、”そこ”に従事する事で、生活が出来る、訳だ。
期待値では、つまりゲームが「面白い」入金を維持出来る限り、雇用の喪失は、無い。
…で、どんなゲームを?
”それ”が解る人を、「先生」扱いされる”作家”と言う訳で。
それを創れない人は、作家としては、不適当である。
…何となく、理不尽感はある。
理解も、同意も出来る。
「解らないんだけど」
そうは言いましても。
個人的に、「E級」と言うのがこの或いは従来型ではあり。A級、要求に対して機械の様に写実性を目指す方向の、その真逆。「自分が面白いと思うモノを造って提供する」時、その適当なベクトルの人々は、シンクロされる場合が多々ある、が。決して「絶対」では無く、意外と直ぐに、その独善性に拒否感は出る。個人の主観は意外な程、お金に成りにくく成ってしまったのだ、アイドルはもう居ないとさえ言える。
貴方も結局、前の人と似たような事を言うのでしょう?
期待値は、あくまでも期待値に過ぎず。お客が何故、そのゲームに100円を投入し続けるのか?その理由に対して正答出来ないと?この理想は成り立たない。主観では答えに成りにくい訳だ。一応、”それ”に対して正答している筈、なのが”雅”市場、その道理なのだけど。
「納得出来ません」
それは、その人の感覚の問題、ではあって。だから、話はそこで、断絶する。
「相手の自由意思を侵害する事は悪だから」だ。悪は、負ける事が多い。リスクだ。
現状?”雅”市場、ストリードの連携それは、かなり高いレベルで「インカム」を具現化している、らしいのだけど。その「納得出来ません」それが、違う意味での「高いレベル」にどうも居る、訳で。結果が、自分の想定と違う、それは正しくない。何か不正がそこに有る筈だ、それがハッキリしない限りは、認める事は出来ない。
「不正は無い」それは、その時、解答の候補に無い訳だ(-_-;)。
「私は正義である!」神の如く!それは、独裁創作者が、作家が?時々陥る地雷ではある。この時、その後ろには、相応の支持層があり…もし「間違ってる」それは、自分が嘘を付いていた、そう言う結果ではあり…転落のトリガーではある。その人は、その過失に因る負債を背負わねばならないのか?それは明言し難い。支持層に全く責任が無い、訳でも無い。ただ、結果は出ないのだ、物理的にだ。以前は出たとしても、井戸は枯れた。
それがそして、”雅”市場に起きない、とも限らない訳だ。人間で有る限りは何処かに視野範囲外がある、その時、自分が間違ってる可能性は常にある、今良い?だけだ。
明言はまだ、出来ない。
とは言え、「売れません」それは想像以上に切実ではある。